音楽

米津玄師の話してるのに、急にハチの話を振るのはただのコミュニケーション不足では?

定期的に上がる米津玄師ハチ関連のこの類のツイート。

A「米津玄師いいよね」

B「ハチね。いいよね マトリョシカとか」

A「え、だれ?」

B「にわかがよぉ…」

雑に説明すると上のようなツイート。乱立してる。元ツイートを引用するのはあえてやめときます。

 このマウントの取り合いが不毛でしょうがないのです。

こういった類はいわゆるネタツイートや炎上ネタでしょうが、何度もあがるの気になったので言及しておきます。

ハチと米津玄師のにわかやりとりコミュニケーション不足説

わざわざ自分の土俵で殴らなくていいのに

引用・出展:『WOODEN DOLL』MVより

 自分の土俵で戦うことは悪いことじゃないです。特にクリエイティブなアイディアであったりは土俵で戦ってこそなんぼです。

けれど、それは他人をわざわざ攻撃しろって意味ではないです。(結果として他人を傷つけてしまうことはあるでしょうけども) 趣味の話でわざわざ争うのは無益。

 人が好きなものについて語ってる姿は大好きなのですが、わざわざ見下すためにこう知識をひけらかすのは、一方的な暴力。他人を攻撃するために知識を使うのは痛々しい。知識は、納得させるために使うのがよい使い方のひとつだと思います。

 会議や、今後の方針などで意見が食い違って議論になることはしょうがないけど、「音楽など芸術作品の話題で攻撃しあう」のはどうも腑に落ちないなぁと。

 どうしてても会話が噛み合わない人がいたり、相容れない人は存在します。けど、それをわざわざ攻撃する必要あるのかな?と疑問に思います。

そもそも会話の内容が足りてない

 「米津玄師=ハチ」は米津ファンが思ってるよりも広まってないです。

 ツイッターでもほとんど毎日のように、「米津玄師ってハチだったんだ!」というツイートが流れるように、ファンからしたら当たり前でも、知らない人は知りません。

 なのに、このB君はさも世界の常識のように話して、知らないから叩いてます。会話を放棄しちゃってます。

 そもそもコミュニケーションとれてないんですこれ。ちゃんと「誰?」と聞いてるのに、そっからBくんは自己陶酔でマウンティング。うぉい。

 まともに意見ぶつかりあって起こる議論なら、なんの問題もないんですが、どちらかが会話を放棄しちゃってるのが問題なわけです。

 知らないなら、ただ教えるだけで会話になるのにもったいないなぁと思う次第なのです。

”米津玄師”と”ハチ” 名義が違う意味

引用・出展:『vivi』MVより

 色んなメディアが米津玄師を紹介する際、米津玄師(ハチ)と書かれることが多い。公式のページにも米津玄師(ハチ)として書いてある。ただこれ、ハチ(米津玄師)とは書いてない。重きは今の彼の米津玄師名義としての活動にあって、このカッコは「ハチとしても活動しています」の意味合いが強い。 

 米津玄師はアルバム毎にテイストが大きく変わるため、ファンの中に派閥がありすぎる。全部好きな人もいれば、時期ごとに好きな人もいる。それだけ好きの度合いが人によって異なるわけです。

 一人で内向的に作品を作っていた時代と比べて、今の楽曲の作り方は遥かに異なります。他作品とのタイアップや、アーティスト・俳優とコラボ。他人との関わりを持って作られた曲達。

 作風やスタンスがある程度変わってしまうのは、ごく自然なこと。今彼がハチ名義がメインではないのは、「ボカロP(ハチ)として」と「米津玄師として」で彼の軸が違うわけです。

 どの時期であろうと彼は1人の人間。彼は米津玄師でありハチですが、作品単体として見れば違うと思われても仕方がないわけです。
 そもそも”米津玄師名義になってからですら”結構な違いがあるのです。

「にわかがよぉ」と言うひとにとってマウント取りが正義

 マウント取りとは、自分が優勢にたつこと。レスリングなどで組み合って上をとってる状態がマウンティング状態。ほとんどの人にとってこれはめちゃくちゃ気持ちいい状態です。

 世の中、このマウンティング状態を作り出すために、他人を攻撃する人がさらに一定数います。これは注意したところでどうしようもない。

 人を変えることはめちゃくちゃ難しい。自分を変えることすら難しいのに、他人を変えることがどれほどの難易度か。「本人が気づく」他に人が変わる方法はないでしょう。

 だから自分の意思を持って、流されないようにしなければ、と改めて思います。意思を固くも、柔軟に色々取り入れて、取捨選択していかなきゃならんのです。流されることと、変わることは似てるようで全く違います。

反骨心は大事

引用・出展:『WOODEN DOLL』MVより

 ただこの話、良い事に作用することもあります。

 たとえば、「にわか」と煽られた人は対抗心を燃やす人も多いと思う。「二度とにわかとは言わせねー」と闘志が宿る。こうして煽ってる人より、煽られたほうがいつの間にか詳しくなってしまうなんてことはざらにあります。そこからさらに好きが広がって.. と考えれば悪いことばかりじゃありません。

 一概に「悪いこと」として区切るのは早いわけです。なので、どちらかが一方的に正義だ悪だのはなくて、知識を共有して話ができたら解決する場合が多々あるなぁとツイッターを眺めてて思いました。この「話ができたら」がツイッターでは意外と難しいのかなぁと思います。140文字ってコミュニケーションでは結構少ない数字なのです。

むすびに

 嫌いなものは嫌いでよければ、好きなものは好きでよい。交じる必要ない線を無理やりつないで争うのはやめませんか。いちいちつっかかって物事を大きくするのどうですか(ブーメラン)。
 
 明らかに不要なものは勝手に淘汰されて消えていく。こうしてなにか言いたくなる気持ちが生まれる時点で、煽りも意味をなしてると言えるでしょう。

 こうして書いてる文章も、その”不必要”に負けたわけです。そうです負け犬です。LOSERです。

 ゆっくりでも知って、好きなものを好きと言えればなと思います。

 ファン層が争って米津玄師に風評被害がゆくという意味不明な構図だけは、少しでも減らしたいもんです。

 それではまた。

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