「なぜ生きてるのか」
「なんでこんなに生きてる価値がないのか」
「なぜあいつは特別なのか」
「なんで自分はこんなにも普通なのか」
受験・就活・転職その他諸々、人生のターニングポイントではよく悩みが発生する。
存在意義や、これまでの人生を悔いたり、他人に羨望の眼差しが強くなったりする時期は人生に何度もある。
場合によっては生きてる間ずっと考えることもあったり、人によって様々。
この現象を勝手に「哲学モード」や「倫理観モード」と呼んでいますが、これはモードというより勝手になる・なってしまうもので、自分で選べるものじゃないです。
なんだドランザーGTか?ベイブレードか?
悩む事は考え込むことは悪いことではなくて、大事なのは、その感覚になった後、「どう思考するか、そこからどう選ぶか、どうそれを乗り越えるか、もしくは畳み込むか」なのです。
といった具合で、この悩みを解決できる方法がなにかないかと考えて思いついたのが、今回紹介する「ヴェルタースオリジナル理論」です。
「何を言ってるんだ?」と思うかもしれませんが、しばしお付き合いください。
頭の片隅に入れておくと、悩みに飲み込まれないようになるかもしれやしません。(曖昧)
ヴェルタースオリジナル理論
とりあえず「ヴェルタースオリジナル理論ってなんだ」となる方に向けて前提の説明はこちら。
「あ、この状況!ヴェルタースオリジナルだ!!」
あらゆるシチュエーションにて「あれ、この日常ってもしかして特別なんじゃないか?」と気を狂わせる理論です。
「すべてにおいてこう思うことができれば無敵」という理論。理論ってなんだ。もうわけがわかんねえよ。
1903年に設立されたストーク社(ドイツ)が販売している飴菓子。
ヴェルタースオリジナルの販売は1969年である。
この飴のCMが2003年ごろから放送されていて、CMで「おじいちゃんが昔話を優しく語る」のです。
たいていのおじいちゃんの昔話は聴いてても武勇伝を語られるだけで、つまんないことがほとんどなのですが、CMのおじいちゃんのセリフは最高なのです。
あのセリフは、今でも多くの人の脳みそにこびりついているはず。
私のおじいさんがくれた初めてのキャンディ
それはヴェルタースオリジナルで私は、四歳でしたその味は甘くてクリーミィで、
こんな素晴らしいキャンディをもらえる私は
きっと特別な存在なのだと感じました今では私がおじいさん
孫にあげるのは、もちろんヴェルタースオリジナルなぜなら彼もまた特別な存在だからです
こちらがそのセリフ。どうですか?じいちゃんが意気揚々と語る姿思い出してきました?
そんで、こちらがそのCM。
もう完全に思い出しましたね。
あのCMを見て、「特別ってなんだろう……?」と考えた人も多いではないかと思います。
それくらい印象的な良いCMでした。
それで、これが「悩みにどう役立つのか」ですが、一言で言うと認識の再定義です。
さらに崩して言うなら
・自分って特別じゃん?
・あれこのシチュエーションって特別じゃないか?
と改めて確認することです。ポラシーボとも言いますね。うん。
起こる出来事は、すべて特別だと思いこんでみること
思い込みだよ。そうだよ。
あなたにとってのヴェルタースオリジナルとはなにか
と、そんな幻聴が聞こえてきます。
確かにそう。大阪にでも住んでない限り、滅多に飴なんてもらえません。(そもそもあの飴は見境なく配るので趣旨がズレる。)
いや、ちょっとまってくれ。別に飴の話してるんじゃないんだよ。これは飴ちゃんに限ったものではなく、もっと幅広く考えられるもの。思い込みの話なんだ。飴からは一旦離れてくれ。
日常への「認識」を変えてみる
友人がよく「世界ってよくならないかなぁ?」と呟くんですよ。
あなたの周りにもいませんか?
「自分では正直どうにもならないことをずっと悩んでる人」が。
世界をよくする行動を起こしてるわけじゃないのに、やたらと不平を垂れる人が。
そういう人に言いたいのですが、まず一旦、自分の周りの世界を再度認識してほしいんですよ。
壮大な世界を描く前に、まず隣の人のことを考えてみてください。
たとえばご飯にいって、友達と談話する。くっだらないしょうもない団扇話でもいい。楽しい時間を過ごすこと、
これヴェルタースオリジナル。
デタラメに遊んで、何気ない日常の写真を切り取って、笑いあえる。
ヴェルタースオリジナル。
有意義からかけ離れた場所に、居場所があったり。
その人としかできないコンテクストがあるから生まれる楽しさ。それ、完全に
ヴェルタースオリジナル。
それはなぜか?
そう、あなたもまた特別な存在だから。
自分のサイトを例に上げるなら、記事を読んでもらってコメントを貰ったとします。
これヴェルタースオリジナル。
友人のひとりが自分の文章を読んでくれた。別に称賛の感想がなくても良い。これ?これも
ヴェルタースオリジナル。
たったひとりにでも届いた時点でヴェルタースオリジナル。
仮に文章が読まれなくて嘆いている人は大丈夫。インスタに写真をあげても中々たくさんイイねがもらえず嘆いている?大丈夫。一人でもイイねを押してもらえたら、
ヴェルタースオリジナル。
好きで続けていることは、気がついたらバズったりするので大丈夫です。(実体験)
気軽に人と出会って何も考えず笑えてる瞬間があるなら、それはヴェルタースオリジナルなわけです。
あなたにとって飴ちゃんはいったいなんですか?あなたにとって、あのおじいちゃんは誰ですか?
「ほんとに自分には何もない….」なんてことは存外なくて、案外簡単なものを見落としたりする
自分と関わっている人がたしかにいて、それを認識できているのならばそれはもう特別な存在。特別な存在であるとこちらが定義したなら、相手からも特別な存在であると言える。認識の科学。誤認でもなんでも認識してしまえばいい。そしたらそう。
ヴェルタースオリジナル。
何度も言うけれど、あなたは特別であること。悩んでもいいけど閉ざしてしまう必要なんてない。世間は冷たいけど、人はそんなに冷たくない。
特別だと思い込んでしまいましょう。というか周りに人がいたり、なにか好きなもの特技があること、もしくは「普通だ」と思い込んでいる時点で特別。思考ができてるなら、それは特別。ヴェルタースオリジナル。
むすびに
ヴェルタースオリジナルがゲシュタルト崩壊しそう。
助けて。
最後の最後に軽く自己紹介をしておきますが、自分も転職を繰り返したり、受験に失敗したり、恋人が亡くなったり、冗談ぬきで失敗や挫折が多い人生です。
「その程度で多いとか言わない、甘えるな」と、闇の深淵にいる人からすれば思われそうですが、ものさしは人それぞれ。価値観はその人の人生の数だけ存在します。
少なくとも順風満帆と言える人生ではないでしょう。むしろ順風満帆な人生を送っている人のほうが珍しいはず。どんな成功者にも努力の影があるし、その分、挫折がある。つまり、自分が苦しむことも至極当然のことで、楽しいと思える感情もしかるべくしてあるもの。
冒頭に書いたように、
「なぜ生きてるのか」
「なんでこんなに生きてる価値がないのか」
「なぜあいつは特別なのか」
「なんで自分はこんなにも普通なのか」
こうして悩むことはあるでしょう。が、悩める時点で思考は止まってません。とても価値にある悩みです。
負の感情が生まれても、それを裏返すことさえ出来れば大丈夫。
どれだけ不遇でも、このご時世餓えて死んでしまうこともない。ご飯がおいしく食べられること、目が見えること、耳が聴こえること、ほんの少しでも心の許せる友人がいること。
小さい幸せでも、冷静に考えればとてもとても幸せなことです。生きてる限り悩みはつきもので、どうせ感情はぐるぐるするので、うまく回してあげたいものです。
思考を転換できればこちらのものです。
なぜならあなたもまた特別な人間だからです。
これが言いたいだけ。どうも締まりが悪いですが、それではまた。
最後にもう一回このCMみてください。ヴェルタースオリジナルオリジナル、美味しいですよ。
<執筆・編集 = hitoto(@tonariniwa)