RADWIMPS1.2.3.4に見えるキラキラが終わった。
『絶体絶命』は「休みには必ずデートしてた野田洋次郎が急に悟りを開いた」ような、恋愛純度100%だったRADWIMPSが、そんな風にごろっと変わったアルバム。この時の野田洋次郎は寺デートもいとわないはず。
恋愛観満載の『RADWIMPS』『RADWIMPS2〜発展途上〜』『RADWIMPS3〜無人島にもっていき忘れた一枚〜』 『RADWIMPS4〜おかずのごはん〜』。
ナンバリングがはずれ、恋路からも逸れ出した『アルトコロニーの定理』
段々とRADWIMPSの放つ色が変わり、そして6thアルバム『絶体絶命』はさらにそれが研ぎ澄まされてた。
歌詞「僕→君」から「僕→僕」へ
RADWIMPと言えばラブソングが有名。
初めて聴いた曲もラブソングで、「なんだこのやべー歌詞は」と引くにも似た感想を持ちつつ、曲の面白さと、突き抜けた恋愛観と歌詞に惹きつけれられていた。
そんな突き抜けたラブソングを歌っていたRAD。ラブソングということは、愛を想う相手がいるわけです。この想い方がとにかく重い。
I will die for you,and I will live for you
I will cry for you because you’re the told me howいつか生まれる二人の命 その時がきたらどうか君に
そっくりなベイビーであって欲しい 無理承知で100% 君の遺伝子
伝わりますように 俺にはこれぽっちも似ていませんように
寝る前に毎晩 手を合わせるんだ
『25コ目の染色体』
これですよ。このまくしたて。これが野田洋次郎イズム。
こんなに急に愛を伝えられたら、十中八九相手は脳がパンクする。
「え、なになに、それプロポーズ?」「こわいこわい」
実際に、面と向かってこんな風に愛を語られたなら、パニクって相手は蒸発する。
野田洋次郎が歌う愛はわりと一方通行で、会話をしようとはしてない。あまりの情報量の多さに唖然とする。
「好き」「愛してる」の感情を言葉巧みに歌う。それが一方通行であろうとお構いなし。相手が聞いてようがなかろうが、知ったこっちゃない。なんなら相手がいなくても愛を歌いそう。
もはや愛を伝える気がなくても愛を歌いそう。空気すらを相手に見立てて、愛せるんじゃないかと錯覚するレベルで、ぶっ飛んで野田洋次郎は愛に富んでる。
『絶体絶命』でどう変わったのか
ひたすら愛を語っていた野田洋次郎が『絶体絶命』でどうなったのか。
いてもいなくても一緒なの どうこう言える立場にいないの
主役の子に当てられた光からわずかに漏れた微かな明かりが
僕の照明 ここにいる証明 人様のおこぼれで生きれて光栄
って思いなさい 演じなさい 胸張って脇を固めなさいこうなればと呟いて ついには狂いだした少年D
予想だにしない事態に 舞台上はもはや独壇場
逃げ惑う群れの中 あえなく捕らえられた少年D
『学芸会』
少年Noda、暴れだした。
泣いちゃいけないなら 僕がいけないなら 僕がいけないなら 涙腺などとうに切っといてよ
生まれた時にさ へその緒の前にさ ついでに口横に裂いといてよ
したら辛い時や悲しい時も何事もないように笑えるよ そうでもしないと とてもじゃないけど
僕は僕をやってられないんだよ
『狭心症』
とにかく焦点が「僕」に変化した。聞いてようがなかろうが、相手に向けて歌う曲が『絶体絶命』ではほとんどない。
このアルバムを初めて聴いたとき、「RADが白黒になった」と思った。
今までのアルバムを、青色や赤色のキラキラした色とするなら、濁った色になった。清濁が混じったリアルな感触。
『絶体絶命』は人間味のあふれた歌詞、曲調で溢れてて、野田洋次郎が自分の世界に引きこもったのだった。リア充が急に転落した。都落ち。自己理解、自己研鑽タイム。
「おーい出てこいよ野田くん。どっか遊びにいこうぜ。野球しようぜ」そんな風に誘っても、きっと出てきてくれない。
「相手との対話」から、「自分との対話」になった。自分との対話。内向の糾弾。
人はこうなると、テコでも動かない。自分で気づくまで相手の意見はなかなか受け入れられないもの。
仲間はずれになった「マニフェスト」
このアルバム、シングルでリリースされ、MVもある『マニフェスト』が収録されてない。
(同時期に出た『携帯電話』はしっかり入ってる)
これは本当に英断で、『マニフェスト』が入っていたら、このアルバムのコンセプトがぐっちゃぐっちゃになってた。『マニフェスト』は歌詞がぶっ飛んでた。
相変わらずの恋愛観のぶっ飛び具合。かといって、「恋愛脳マックスのRADWIMPS1234のアルバムに入るか?」と言われれば、それもどっこい、入る隙間がない。
『マニフェスト』の異常などこにも属せない感。異端児。学校だったら不登校。クラスで話し合う場面で、急になんか目立った事を言ってしまって、叩かれて四面楚歌。そして果てにメンタルブレイクした曲。それが『マニフェスト』なんだ。
僕が総理大臣になったら 僕らにまつわる全てのことを
この世界の歴史として刻もう 一つ残らず教科書に載せよう
『マニフェスト』
野田洋次郎だから許された曲でありながら、アルバム所属は許されなかった『マニフェスト』
『マニフェスト』をアルバムに収録するなら、ラブソングのコンセプトアルバムになる。
仮に『絶対絶命』に収録されたら
どこにはいるかの曲順が最も重要。 ……なんてことはなく、どこに入ってもこのアルバムをぶち壊してしまう。
どの曲もシリアスに、人生観を歌っているのに「僕が総理大臣になったら〜」なんて流れだしたら、「今まで聴いてたのなんだったの?」「なんで急に学校きたの?」「また同じ過ち繰り返すの?」と言葉のドッチボールが始まる。クラスメイトの視線が痛い。そんな目でこっちをみるな。
『絶対絶命』で野田洋次郎は、一旦恋愛から遠ざかり、自分との邂逅。そして悟りを開くのであった。
むすびに
元々、RADは哲学観の強い歌詞も多い。『おしゃかしゃま』はもちろん、『蛍』『有心論』などラブソングでありながら、価値観を揺する歌詞は少なくない。
『絶対絶命』はそれらが急にまとまってきたので、とにかく異質なアルバムだった。ただ、その後に出る『×と◯と罪と』も、それはそれは異彩を放つアルバムだったのはまた別のお話。
個人的に『絶体絶命』はRADの中でも、かなり上位に位置するアルバムなのだけど、あまり賛同を得られないのは、暗すぎるからでしょうか。好きなのだけれどなぁ。
ではまた。